【感想メモ】野村康(2017)『社会科学の考え方:認識論、リサーチ・デザイン、手法』

社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法―
野村 康
名古屋大学出版会
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2017年に出版された社会科学における方法論(methodology)についてのガイドブックです。それだけ書くとよくある本じゃないかという感じですが、この本の特長は、(本の帯にも書いてあるとおり)社会科学の背景にあるロジック、あるいは認識論というところからスタートしているという点です。

本書では方法論と手法(method)が明確に区別されています。すなわち、

方法論(methodology) = 認識論(epistemology) + リサーチ・デザイン + 手法(method)

方法論は認識論、リサーチ・デザイン、そして手法の論理的な関係性をその核としています。方法論を意識しつつ、この骨組みの1つにあたる、認識論というところを重視して記述がなされているのが本書の特長と思います。

認識論については本書の第1章で扱われているのですが、この部分が非常に明確に分かりやすく整理されていて、勉強になることが多かったです。以下、主にこの第1章の内容についてメモを残しておきます。

内容のメモ

「私たちが世の中をどのように認識しているのか」という課題を存在論(ontology)と認識論(epistemology)という。これらは、研究において手法(method)やリサーチ・デザインの基礎となる。存在論—認識論—手法の関連は、以下の図のように整理される。

存在論の2つの立場

存在論とは、私たちの知識の対象が(私たちからは独立して)そこに存在するのかしないのか、という問いについての議論を指す。これは大きくわけて2つの立場に分けることができる。

  1. 基礎づけ主義(foundationalism):私たちの知識の対象は客観的に存在するという立場。
  2. 反基礎づけ主義(anti-foundationalism):私たちの知識の対象が存在するかどうかは、私たちからは独立して存在しないという立場。

以上のような存在論は、私たちが世の中について何をどのように知ることができるか、という認識論と強く結びついている。研究者にとってこのような存在論や認識論は、その場その場で容易に変えたり、変更することはできない

認識論のパラダイム

先に述べたとおり、認識論とは、ある存在論にもとづいて、世の中の何をどのように知ることができるかという考え方を指す。これは以下の3つのパラダイムに大きく分けることができる。

実証主義

実証主義(positivism)は、存在論的には基礎づけ主義に位置しており、世の中は私たちの知識にかかわらず独立して存在していると考える。社会科学者は社会現象間の(因果)関係について記述することはもとより、理論にもとづいて仮説を作り、データを用いてそれを検証することもできるし、そうすべきである。理論の役割は検証可能な仮説を導き、その検証を通じて何らかの規則性・法則を明らかにすることにある1)このなかには、理論がデータ収集に先立つのではなく、集めたデータを機能的に理論の中に位置づける手続きを重視する経験主義的(empiricism)な研究も含まれる。。因果関係の実証的説明に取り組むことを通じて、将来を予測することも可能であると考える。

私たちの研究対象・調査対象は私たちとは独立して存在しているという存在論的立場から、事実についての問い(〜である)と、価値や規範的な問い(〜であるべき)を分けることができ、実証的研究は前者に立って行われるべきである。すなわち、社会科学は価値中立な方法で行うことが可能で、またそうすべきであると考える。

以上から、実証主義では命題の検証にあたって量的なデータの測定・収集・分析が重視される。もちろん質的なデータが不要なわけではないが、そのデータはあくまでも客観的に得るべき(得ることができる)と想定されている。

解釈主義

解釈主義(interpretivism)はあらゆる面で実証主義とは対極に位置する。解釈主義は存在論的には反基礎づけ主義であり、世の中は社会的あるいは言説的に構築されていると考える。したがって自然科学のようなかたちで客観的に人間社会を理解することはできず、人間がとる社会的行動2)「社会的行動」という言いかたが本文で使われているが、社会学で言えばこれは行為あるいは社会的行為(social action)に近い意味合いだろう。の主体的な意味を把握することが重要とされる。

解釈主義では対象を客観的・中立的に調査することが可能とは考えない。事実と価値は明確に分けることはできず、文脈に応じて両者は結びついている。調査は主観的なものとなり、調査者と調査対象の間で影響を及ぼし合うこともある。科学的に因果関係を「説明」したり「予測」したりすることをめざすのではなく、関係性について「理解する」ことが重視される。

以上から、解釈主義では量的なデータにおける単純化した変数のようなかたちに還元できないため、質的なデータを収集し、かつ文脈に応じてその違いを解釈する必要があるとされる。

批判的実在論

批判的実在論(critical realism)は、存在論的には実証主義と同じく基礎づけ主義に属している。つまり実証主義と同様に、世の中は私たちの知識とは独立して存在しており、社会現象は因果関係によって把握される。

しかし批判的実在論は実証主義とは異なり、目に見える事象ではなく、その背後にある目に見えない「構造」こそが重要であるとする。構造がすべてを決定するわけではないが、私たちの目にみえている社会現象、あるいは人びとの行為は、その背後に存在する構造によって生じているからである。ここで構造とは、個人・集団間の諸関係といってよい。私たちの目に見えている社会は時間的・空間的に変化していく存在であるため、それだけを実証的に分析したとしても一般化・理論化をはかることはできない。

また、構造と私たちの間には双方向的な関係がある。構造は私たちの行為に制約を与える一方で、私たち自身がその構造を(意図的にもしくは非意図的に)再生産したり、作り変えたりしていく。その意味で社会構造は人びとから独立した存在ではない。この点は、認識論的には解釈主義にやや近いといえる。

批判的実在論では、量的・質的データおよび手法のいずれも、構造を明らかにするうえで有意義である場合においてのみ、理論と関係づけられるかたちで活用される。さらにデータを積み重ねて分析しても因果関係を示すことはできず、予測もできないと考える。

客観性と主観性

まとめれば、実証主義は、私たちの研究対象である社会は私たちから独立して存在している(基礎づけ主義)ため、「客観的に」把握できるし、そうすべきである。その意味では自然科学に近い。さらに「科学的に」因果関係を明らかにしようとするということから、政策に関する研究分野では大きなプレゼンスをもつ。

他方で解釈主義は、私たちの研究対象である社会は私たちの知識とは独立して存在しているわけではない(反基礎づけ主義)ため、社会を「客観的に」把握することはできず、調査者は自らの「主観性」を意識することが重要である。(自然)科学的な合理性を重視する政策分野においては、解釈主義はしばしばなじまないとされるが、「客観的」な科学にひそむ政治性を指摘し、オルタナティブな知見を提示するという点でポテンシャルを有する。

批判的実在論は、実証主義と同様に基礎づけ主義に立つが、直接観察できない構造が重要で、理論や推論を通じてそれを理解することを重視する。必ずしも価値中立的である必要はなく、ある構造が人びとの行為に影響したり制約しているということを明らかにし、これを通じて、社会がいかにあるべきかという目指すべき姿を示すべきである。

 

もちろん以上のような存在論的立場およびそれにもとづく認識論的立場をきれいに分けることはできず、基礎づけ主義と反基礎づけ主義との間にはグラデーションがあり、実証主義と批判的実在論、解釈主義の間にもグラデーションがある。しかしながら、自分がどのあたりの立ち位置にあって、それぞれがいかなる立場であるのかを意識することが、自身の研究およびディシプリンごとの存在論や認識論的立場の違いを理解するうえで重要である。

感想

量的研究と質的研究

社会学ではしばしば、手法(method)にもとづいて研究、あるいは研究者を分類したり、あるいは領域を分けたりすることがあります。あるいは質的—量的の対立軸は重要ではなく、問いが重要なのだということも言われたりします。

しかしながら本書の立場に沿って考えれば、このどちらも本質的な違いではなくて、より本質的な違いは、研究を支える存在論・認識論にあるということがわかります。もちろん存在論・認識論と手法の選択の間には相関があるから、量的研究を主たるアプローチとしている人を集めると自然と実証主義に偏った人が多くなるわけですが、しかしながらその中には実証主義者もいれば批判的実在論者も、さらには解釈主義者もいる、という話になるわけです。私は専門ではないですが、おそらく質的研究についても同じことが言えると思います。

批判的実在論と社会学

自分にとっておもしろかったのは、実証主義と解釈主義だけでなく、その間に批判的実在論が存在していることでした。私は批判的実在論という認識論あるいはその言い方を知らなかったのですが、社会学は批判的実在論にかなり近いというかそのものど真ん中ではないかと、読みながら思いました。もちろん、内部にはグラデーションがありますし、他の人はどう考えるかわかりませんが。

社会学では「構造」や「関係」が重要な概念であると思いますが、いずれも直接目で見ることはできず、何らかのデータをもってこれらを推論、あるいは理論と照らしながら考える必要があります。そのことが経験的な研究にとっての難しさと魅力になってきた面があると思います。認識論とそこからの距離ということを意識して研究を聞いたり読んだりすることで、経験的な研究が何を問題とすべきなのか、より良く判断できるようになりそうです。

ちなみに自分の立場は批判的実在論に近い実証主義だと思います。

Notes

Notes
1 このなかには、理論がデータ収集に先立つのではなく、集めたデータを機能的に理論の中に位置づける手続きを重視する経験主義的(empiricism)な研究も含まれる。
2 「社会的行動」という言いかたが本文で使われているが、社会学で言えばこれは行為あるいは社会的行為(social action)に近い意味合いだろう。