DiPrete and Buchmann (2013) “The Rise of Women” 読書記録
時間に余裕ができたので、溜まっていた積読を消化しています。飽きっぽい性格なのでいつまで続くかわからないですが、せっかくなので積読を消化するたびに読書メモを残しておくことにしたいと思います。精読したわけではないうえ、自分の関心でまとめの比重にバイアスがかかっていると思われるので、気になった方は原著を参照ください。
今回読んだのは表題のとおりこちらの本。
The Rise of Women: The Growing Gender Gap in Education and What it Means for American Schools
Amazon.com: The Rise of Women: The Growing Gender Gap in Education and What it Means for American Schools (9780871540515): DiPrete, Thomas A., Buchmann, Claudia: Books
周知のとおり、先進国のうちごく少数の国を除いては、今や女性の学歴(ここでは大学卒業者に占める女性比率)は男性のそれを上回っている。ただし本書が扱うアメリカは他の先進諸国とは異なるトレンドを示している。それは、女性では近年のコーホートになるにつれて一貫して大卒比率が高まっているのに対して、男性は1950年ころから1980年ころの出生コーホートにかけてほとんど大卒比率が上昇せず、その結果、女性が男性を追い抜いたということである。
なぜ女性はここ数十年一貫して大卒比率の上昇を達成できたのか?それに対して、なぜ男性では大卒比率の上昇が止まったのか?これらが、本書で提示される問いである。この問いを解くため、本書は2つの目的を掲げる。
第1の目的が、ここ数十年の男女の学歴達成の変化を記述し、学歴の男女差が逆転したのはなぜなのか、その説明を提示することである。
第2の目的が、(大学以前の)学校期間を通じた、教育的パフォーマンス(文化活動、向学校的態度など)や達成(成績)における男女差を検討することである1)教育的パフォーマンスはeducational performanceの訳。第6章や第9章などのニュアンスをみると、ここでのパフォーマンスは演技的なものも含むような概念として使われている。なお著者らは必ずしも向学校的な態度を身につけることが大事だとは考えておらず、学校への表出的なアタッチメントと道具的(手段的)なアタッチメントとを区別している(p.148)。成績を上げて大学進学につなげるという観点からいえば、必ずしも表出的なアタッチメントによって学校に親和的になる必要はなく、道具的なアタッチメントによって表面的に学校に親和的になるというのでもよいという方向性を示している。。
“The Rise of Women“というタイトルとは裏腹に、本書の着眼点は女性よりもむしろ女性との比較によって捉えられるところの男性である。男性の相対的な不利が学校生活というプロセスのなかでいかに生まれているのかを検討することを通して、現在のアメリカの学校が抱えている問題の一端を捉えることができる、というのが本書のスタンスである。
Part 1: Trends and the Macro Environment
第2章では、マクロな国際比較から男性の大卒比率の上昇が停滞した、という点でアメリカのトレンドが他の国と比べても異質なことが確認される。
大卒比率の男女差が生まれると言ったとき、その構成要素は (1) 高校から大学に進学するかどうか、(2) 大学に進学したあと大学を卒業するかどうか、という2つの過程に分解できる。女性はこのうち(1)と(2)の両者において男性を追い抜いており、その結果、大卒比率の男女差が生成していた。
そのほか、Raceごとにトレンドを比べると、Hispanic, AsianはWhiteとほぼ同様のトレンドを示すが、Blackは昔からずっと女性のほうが男性よりも大卒比率が高く、ほかとややトレンドが異なっていた。大卒比率の男女差の縮小と比べると専攻の性別分離の解消はずっと遅かった。
第3章では、ここ数十年で労働市場、結婚、家族生活がどのように変化してきたのか、そしてこれらの変化によって生じるインセンティブや機会の変化が、女性の高学歴化とどのように関係しているのかについて検証する。
かつて大卒者は高卒者とくらべると男女とも結婚率(30–34歳時点で調査時点で結婚している確率)が低かったが、近年は大卒者の結婚率が高卒者の結婚率を上回るようになった。それだけでなく、大卒者は世帯の経済水準、貧困回避リスクが高く、しかも上昇傾向にある。この傾向は女性でとくに顕著である。つまり、女性にとって大卒学歴を得ることは自分でより多くの賃金を得られるのみならず、配偶者を得る(あるいは離婚しにくい)ことで世帯の安定性を高め、しかもより経済的地位の高い配偶者と結婚することでさらにその安定性を高めるというように、労働市場でも結婚でも有利になっている。女性にとって大卒学歴のリターンが男性以上に大きく上昇していることが、学歴を得るインセンティブを強めていると考えられる。
Part 2: Academic Performance, Engagement, and Family Influence
インセンティブ構造の変化だけでなく、学歴を得るためには、よい成績を取らないといけない。そこで先に述べた第2の目的、いかなるプロセスで学校段階での成績その他の男女差が生じているのかを検討するのがPart 2である。
第4章では、男子と女子の間での成績の差がいつ生まれるのかを検証している2)以下、成人以前の男性(女性)を男子(女子)と表記。男子よりも女子のほうがずっと成績がよく、成績がいいほど大学卒業率が高い(もちろん大学進学率も高い)。それゆえ、大学卒業率の男女差の主たる要因は成績の男女差にあると考えられる。細かな分析からは、(1) 男女間では女性がリーディングのスコアがやや高く、男子が算数(数学)のスコアがやや高いが、近年では算数のスコアの男女差は縮小しており、他方でリーディングのスコアでの女子の優位は変わっていない、(2)大学準備のコースの過程で、女子は男子の数学や科学のスコアを追い抜く、といったことがわかった。
なぜ男女で成績に違いが出るのか?第5章では、高い成績につながるような社会的・行動的スキルや、向学校的な態度に男女差があるのではないかということについて検証している3)ここでの社会的・行動的スキルというのは、生徒ごとに教員によって測定された自制心self-controlおよび対人能力interpersonal skillsを指すようだ。詳しい操作化はもとの雑誌論文を参照しないとわからなそう。。社会的・行動的スキルは(幼稚園段階からすでに)男子よりも女子のほうが高く、また社会的・行動的スキルが高いほど成績も高い。社会的・行動的スキルの男女差が、成績の男女差のかなりの部分を説明する。そのほか、宿題にかけている時間や、学校に馴染んでいるか、成績が重要だと思うか、といった指標はいずれも女子のほうがより高く、これらも成績の上昇や大学進学の決定にも影響しているとみられる。
第6章では、家族が成績や向学校的な態度に与える影響とその男女差が検討される。古いコーホートでは、(1)父母高学歴の場合は男女で大卒比率に差が現れないが、(2)父高学歴・母低学歴、(3)父低学歴・母高学歴、(4)父母低学歴、(5)父親不在の場合はいずれも男性のほうが大卒比率が高かった。しかし近年のコーホートでは、(3)父低学歴・母高学歴、(4)父母低学歴、(5)父親不在の場合において、男性のほうが大卒比率が低くなっている。つまり、父親がいなかったり低学歴であると、その息子は(娘よりも)低学歴になりやすいという関係が現れるようになっている。
学校段階においても、男子の教育達成においては家族の影響が女子よりも強く現れやすい。親の学歴、とくに父親の学歴が低いと社会的・行動的スキルや向学校的な態度が低くなりやすく、文化活動にも従事しにくい。またエスノグラフィの知見によれば、男子は学校へのアタッチメントが低いことを良いこととする仲間内でのプレッシャーがあり、そのことが向学校的な態度、文化活動の低さにつながっている。これら社会的・行動的スキルや向学校的な態度、文化活動の違いが男女間の成績差を帰結し、また逆に成績の差が向学校的な態度をさらに低めるという相互的な関係もあって、男女間の成績差が維持されている4)もちろんこのプロセスのすべてが検証されているわけではないので注意が必要。実証的にもこれを明らかにするのは困難だろう。。
Part 3: The Role of Schools
Part 3では、どのような学校で男女差が縮まるのかということが検討されている。第7章では文献のレビューから、成績の男女差に関する3つの説(先生が女子を優遇する、学校が男子をディスカレッジする”女性的”な環境を作っている、共学でしか男女差はない)を検討しこれらはあまりもっともらしくないことを確認する。そのうえで、成績のよい学校や学校レベルのSESが高い学校ほど成績の男女差が小さくなることを示し、アカデミックな雰囲気の強い学校ほど向学校的な態度を身につけることで男子の相対的な不利が解消するのではないかと論じる。
第8章ではいまなお残る大学の専攻の男女差の解消に対して学校がどのような役割を果たすのかについて検討されている。30年ほどのトレンドをみると、STEM分野やビジネス分野を専攻する女性は増えつつある。この変化には(1)そもそもこれらの分野の相対的なサイズが大きくなったことと、(2)より女性がこれらの分野に参入しやすくなったこと、という両方が寄与している。ついで学校段階に着目すると、文献のレビューから、高校時点でSTEM分野への進学希望を持っているかどうかがSTEM分野で学位を取得するか否かの決定的なタイミングとなっており、ここでの進学希望の男女差は数学や科学に力を入れている学校においてより小さいことを確認している。
結論部にあたる第9章はこれまでの知見がまとめられ、政策的な含意が導かれる。著者らが導く結論は2つ。第1に、大卒率の男女差を生む主たる原因である成績の男女差はすでに小学校や中学校時点で生まれているので、早い段階からの介入がより適切であるということ、第2に、教育的なパフォーマンスの男女差にはより介入の難しい社会文化的な要因が含まれているということである。男子が女子よりも大学進学のための勉強に熱心になれないということの背景には、男子が女子よりも労働市場などでの大卒学歴の効用を過小に評価しているという可能性がある5)第3章では大卒学歴の世帯の経済水準へのリターンは女性のほうが大きいことが示されていたので、過小評価というよりは正当に評価した結果なのではないかという気もする。とはいえ個人レベルでの大卒学歴の効用に対する認識を尋ねているわけではないので、ここはopen questionといえるだろう。。大卒学歴を取得することの社会的経済的リターンについての情報を正しく与えることで、男子を学校での学習にコミットさせ、ひいては男性における大卒比率上昇の停滞を改善することができるのではないかと論じている。
Notes
↩1 | 教育的パフォーマンスはeducational performanceの訳。第6章や第9章などのニュアンスをみると、ここでのパフォーマンスは演技的なものも含むような概念として使われている。なお著者らは必ずしも向学校的な態度を身につけることが大事だとは考えておらず、学校への表出的なアタッチメントと道具的(手段的)なアタッチメントとを区別している(p.148)。成績を上げて大学進学につなげるという観点からいえば、必ずしも表出的なアタッチメントによって学校に親和的になる必要はなく、道具的なアタッチメントによって表面的に学校に親和的になるというのでもよいという方向性を示している。 |
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↩2 | 以下、成人以前の男性(女性)を男子(女子)と表記 |
↩3 | ここでの社会的・行動的スキルというのは、生徒ごとに教員によって測定された自制心self-controlおよび対人能力interpersonal skillsを指すようだ。詳しい操作化はもとの雑誌論文を参照しないとわからなそう。 |
↩4 | もちろんこのプロセスのすべてが検証されているわけではないので注意が必要。実証的にもこれを明らかにするのは困難だろう。 |
↩5 | 第3章では大卒学歴の世帯の経済水準へのリターンは女性のほうが大きいことが示されていたので、過小評価というよりは正当に評価した結果なのではないかという気もする。とはいえ個人レベルでの大卒学歴の効用に対する認識を尋ねているわけではないので、ここはopen questionといえるだろう。 |